CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
SPONSORED LINKS
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

馬桴>∪椎

しづむなる死出の山がはみなぎりて馬桴もやかなはざるらむ 3rd season 
全公開型馬桴/文章著/0467→045→03→0852/NO NAME
Copyright(C)2006-2009.mitomi,2青年
<< おこわのあまり | main | GHOST DOG >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
メゾン・ド・ヒミコ


こういった手の映画は、つまらないから+とるに足らない自意識 を理由に見ないことにしているのだが、とある方向でたまたまタイトルを目にしていたので、これは、と思い見てみることにした。
強調するが、僕は全く期待をしていず・教育ビデオをみる要領で見ようと思っていた。
ちなみに柴崎コウは大嫌いだ。それは事後もなんら変わらなかった。



ストーリーを要約する。
柴崎コウの父親(ヒミコ)は「卑弥呼」というゲイバーをママとして成功させたオネェ系のゲイで死の床に伏せっている。オダギリジョーはヒミコの彼氏。ヒミコとオダギリジョーの経営するゲイ老人ホームメゾンドヒミコに、オダギリジョーが柴崎コウをバイトとして雇い入れて、といった内容。

ストーリーの支柱になっているのは、柴崎コウが自分と母親を捨てて「ある日突然普通の専業主婦のお母さんにオカマだって告白」して出て行った父親への恨み、という実体験に基づくゲイに対する嫌悪と、近所の中学生?がいやがらせをするなどの一般的ホモフォビア、とゲイの実存的問題

どうやら同監督の「ジョゼと〜」は障害者の性、というテーマらしく「性」を題材に映画を撮っているらしい、いわば性科学にあたるか?

ゲイ映画って言うと、超美少年が出てきて、セックスシーンは靄がかって、みたいなイメージがすごく強かったのだけど、そんなことは全くない。でもゲイ映画ならばなんでヘテロなセックスシーンは2回もあるのに入れなかったんだろう、という不思議。ま、細かいことは置いておく。でもやっぱりオダギリジョーと柴崎コウせっかく使ってるんだからキャッチーにするためにも二人のラブシーンを、というのがみえみえで不誠実だと思った

ほかには、

・卑弥呼役の田中泯がとてもきれい、と素直に思えた

・たぶん一般の人たちは冒頭とか特に、おねえ系な感じを見て「うっ」と思うはずだけど、明らかにホモフォビア払拭に一役かっているとおもうのでえらい

・「ホモ」「オカマ」と言われたり、いやがらせを受けるシーンがいくつかあるし、ゲイの生き方の是非を問うような問答もあって、気合入ってる

・ルビーのキャラクターがとてもよい

・ダンスシーンは明らかに不要 時間の無駄遣い

・冒頭シーンがひどい

・海に大学生が走っていくところのシーン、エコーは明らかに不要

・やっぱり柴崎コウは日本一大根役者 ていうか役者なの?

・「せっかくオダギリジョーつかっている」からって、別にキャラクターをあそこまで持たせたりしないでよかったとおもう

とあるサイトで面白いレビューがある。 ちなみに沙織っていうのが柴崎コウ

また、この映画は沙織がつとめる塗装会社の専務、細川(西島秀俊)を巡る女性社員の争いを湛然に描くことにより、普遍的とされていた異性愛規範を相対化もする。この会社には、細川との性的な関係を担保に、女子社員の会社内における権力が保証される構造が存在する。この構造は、まさしく非対称的な男女間のセクシュアリティの交換を正当とみなす、異性愛規範に基づいている。この構造から距離をとっている沙織、春彦が細川と関わることにより、今まで問われることのなかった細川のセクシュアリティが相対化され、ひいては構造自体が非普遍的であることが暴かれる。つまり、この映画は一見するとゲイを巡る物語のように見えるが、異性愛規範を問うものとも読めるのだ。
(中略)
「メゾン・ド・ヒミコ」の老いたゲイたちは、セクシュアリティのあり方故に家族から切り離され、仲間たちと寄り添うように生きています。しかし、その人生の末期において、彼らは否応なく家族と向き合わされます。彼らが帯びているそこはかとない悲しみはここから生まれているのでしょう。
(中略)
ところで、春彦と沙織はこのゲームの外にいます。まず、春彦はゲイであることから、このゲームの外に位置づけられます。「絶対に痛いから男とはセックスしない。」そう豪語する細川に対し、春彦は「なぜ、痛くする側にならないの?」と問い返します。ここでは、ゲイと肛門性交を関連づけている細川が、なぜか自らが挿入される側であることしか想定していないことを春彦が皮肉たっぷりに指摘しているのです。怯んだ細川は,春彦に「ノンケをからかっちゃダメだね。」とあしらわれてしまいます。細川はなぜ、春彦の一言に怯んだのでしょうか。それは、今まで当たり前のものとして、細川を含めた誰もが問うことのなかった細川のセクシュアリティを、春彦がそのベールを暴いたからではないでしょうか。
(中略)
この映画では,塗装会社での細川をめぐるノンケ的な人間関係とメゾン・ド・ヒミコでの人間関係が対比して描かれ、沙織はその間を行きかうものとして存在しています。沙織が、春彦によってメゾン・ド・ヒミコに連れて行かれ、住人とのぶつかりを経て、細川と関係を持つことからもこのことがわかります。ここで、細川の存在に注目すれば、この映画をヘテロセクシュアル男性のセクシュアリティが相対化していく過程を描いたもの、と捉えることも可能だと感じました。また、その過程に着目することで、塗装会社における異性愛主義体制自体の文脈依存性も明らかになります。



映画として十分に面白かった。ゲイに免疫のない人たちがみてなんていうかに興味アリ。
どのくらい面白かったかというと、近代邦画からいうと、 誰も知らない・EUREKA・トウキョウソナタとかのハイレベルから比べたら全くのクソだけれど、岩井俊二とか・阿修羅のごとく・ゆれる・人間の証明・家族ゲームとかよりは断然面白い・でもおんなじレベルの中でなら青い春とかのほうが面白いんだろうけど「テーマがある」っていう付加価値を計上するとまた違うのだろうか、っていうかんじかな。
| 映画,MANGA | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スポンサーサイト
| - | 21:18 | - | - | pookmark |









http://umaikada3.jugem.jp/trackback/559